いつもどこかで朝が
自分自身がどんなに小さく思うときでも、自分が関わっている世界だけではなく、もっともっと自分の知らない大きな世界に関わっていると思うことで、自分の存在も「悪くないかっ」と思えるかもしれないな、と思います。
先日、ご逝去された「谷川俊太郎さんの詩」をご紹介させてください。
朝のリレー
カムチャッカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球で
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交換で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
(谷川俊太郎「谷川俊太郎詩集 続」思潮社 より)